泣いて欲しがれば良かったのに。
「泣いて、欲しいと強請れば良かった。」
「何を?」
「もちろんあなたをですよ。」
他に何か望むものがありますかとネジがほほ笑んだ。まだ慣れない笑みに引き攣るような頬が陽に当たる。微笑みと、陽光、日向の者には未だ似合わないそれだがいつか似合う日が来るのだとヒナタは確信めいた幻想を抱く。だってこれはとても温かいものだから、それが似合わないなんて悲しいのだ。
「衣食住、事足りてこその、思いかな?」
「試すようなことを仰る。可愛い女ですね。」
女というネジの言い様にヒナタはぞくりとした。言葉の節々にあえて出すその雰囲気を楽しんでしまうのだ。いやらしいと自分を戒める。それに気が付かないネジではないから余計に恥ずかしい。
「もう子供ではありませんから夢の様なことを申し上げられないけど。そうですね。あなたを思って9日間は絶食した後に上忍4人と同時に闘いましょう。」
「……わあ。で、でも駄目よ。できればそんなことしないでね。」
言外に自分を置いていっては嫌だとヒナタは詰め寄った。真白い足が着物の合わせ目から伸ばされる。ネジがあえてそう言うからには、以前8日間絶食した後に上忍3人と闘ったのかもしれなかった。そして危険な目に合ったのだろうとヒナタは思う。愛情表現が一回りしてから真っ直ぐなネジらしい。
「子供じゃないから泣いて叫べない。あなたが欲しいとヒアシ様に申し上げられない。」
「恥ずかしい?」
「いえ、そうしても頂けないと知ったのです。」
伸ばされたヒナタの手を頬で受けながら、ネジが白い瞳を瞼に隠す。まるで薄雲に遮られる月の様だ。ヒナタの右手の親指がネジの唇を震えながらなぞる。温度が上がった身体のせいで、いつもは血色の悪い互いの唇は今や紅に彩られていた。控え目な色に染まった互いのそれを極力近づけてヒナタはネジの瞼を見やる。
「ふっ、積極的ですね。」
ヒナタが羞恥に目を見開けば、ネジも目を開けた。互いの視線が至近距離で合う。ヒナタの頬が唇と同じ色にまで染まりそうだった。
「ヒアシ様は厳しい方ですからね。」
「は、はい。」
「如何にしても俺を認めて頂きます。だからあなたも俺についてきなさい。」
そのための今だとネジは呟いた。細く洩れる息が自分の唇を濡らす様だったが、離れがたいヒナタはネジの頬を包んだままでいる。ネジ兄さんはやっぱり睫毛が長いだの唇の意地悪そうな形が好きだの思っていると彼が眦を下げた。ぼんやりと遠ざかっていた恥ずかしさが舞い戻りヒナタが手を放そうとする。
しかしネジがそれを、口の形を変えてそのままと囁けば、宗家の姫といえど逆らうことはできなかった。宗主の座への道を断たれようとも日向の姫であるヒナタだが、ネジをどうこうする位置にいても実際に、それをしたこと等無い。ふと、ヒナタは思い立った。
「私が泣いて叫んでも父上はネジ兄さんをくれないわ。」
「そうですかね。」
「だ、だって、私の欲しいネジ兄さんはそういうのじゃないの。」
分かっていますよとネジがヒナタの頬に自分の頬を寄せる。ヒナタの手から離れたネジの頬がヒナタの頬に擦り合わさった。触れるか触れないかの位置で揺れ、熱く固い頬が柔らかさを残すそれを刺激する。離れていても伝わるほど互いの身体は熱いのに、触れ合う頬を何故かひやりと冷たく感じた。
「兄さん、助かったね。」
「ええ。俺もそれは嫌だ。」
「でも、そう、ね。父上に頼めば、ネジ兄さんは私のものなのに。」
宗家の姫が欲しがったとなれば、ヒアシはネジを与えるだろう。ヒアシから与えられるネジでは嫌だと先ほどは言った癖に、ヒナタは手のひらを返した。
たまにヒナタはぼんやりとした目でこういったことを言う。子供の無邪気さで、ネジの誇りを踏みにじることを言う。それは嫌だと思っているのに未練がましく繰り返す。裂かれたヒナタの着物の裾が床に広がった。ネジはそれをヒナタの肩越しに確認し、白く小さな踝を見つめている。
「俺を飼うか?ヒナタ様。」
ヒナタがゴクリと喉を鳴らした。日向の者は日に向かう影の者、白い瞳に映る底の暗い願望には滅法強い。
「なあ、ヒナタ。」
ヒナタの帯を彼女の細腰を抱き込んでネジが解いた。薄桃色の襦袢が胸元から覗いたが彼は目もくれず、ヒナタの目に帯の端を写す。
「どうする?今まで通り2人で供に歩むか、これで少しばかりの間俺を捕えるか。」
捕えさせてやるとはネジは言わなかったが、ヒナタは自分に巻かれていたその頼りない布を妙に頼もしく感じていた。もしそうすればネジは逃げようとするか、怒るか、ヒナタの元から去るか。しかし帯はそのネジ自身の手の中にある。ネジがヒナタに全てを捧げる限り、彼を捕える方法はいくらでもあるかのように見えた。
ネジは今のままでも何処へも行かない。ネジはヒナタの傍にいたいと願う。ヒナタもまた然り。強請らなくても縛らなくてもネジとヒナタは2人のものだ。しかしもう必要のない子供の様な訴えと、ネジの固い拳の中にあるその布に彼女は少し思いを馳せた。
「少しばかり……」
ヒナタがぽつりと呟いた。聞き逃さぬようにと、ネジの顔が再度近づく。
「なら、要らないわ。」
ネジの唇の端に小さく舌をなぞらせてヒナタが笑う。赤く染まる頬と震える唇は陽の下にいるヒナタであるのに、ネジは寒気が走るほどの通常に無い妖艶さを感じた。ただのくノ一の手練手管ではない。これがネジが落ちた宗家の姫なのだ。儚くも希望に向かって咲く花の様に可愛らしく、ネジを捕えて離さない謎めいた白い瞳の輝きがある。ヒナタはそれに気が付かないが、ネジは知っている。ヒナタを構成する要素の一つ一つを知って愛しいからこそ、己の誇りを捨てるような振る舞いができるのだ。
彼女はそれをしない。彼女がどんなにそれをしたくともできないのだ。ヒナタの中にある無意識の葛藤の結果が分かり切っているのに、それを覗き見たくてネジは問いかける。そして出たヒナタの言葉に何処か落胆しながら、陽光の似合う彼女に安心するのだ。
「ええ。俺はヒナタ様から離れませんから。」
帯を強く引き、ヒナタの襦袢が今度こそ陽光の下に現れれば夢から覚めたように彼女が慌てふためく。涙を長い睫毛の端に貯めてネジを困った様に見つめるが、体を隠そうとする手は余りにも小さく脆くネジの目に焼きついた。
「こんなもの要りませんよ。」
「い、要ります。か、か、返して下さい。」
ネジの腕をその小さな片方の拳で何度も小突き、いじらしく抵抗する様にネジは笑う。射していた陽光も夕暮れ時になれば橙色掛って気温も下がる。胸元が空いたままではもちろん恥ずかしく、肌寒かろう。ネジはおどけた。
「へえ、やっぱり要るのですか。……俺がどこかに行ってしまうから?」

ネジとヒナタ、双方の瞳が冷える。先に口を開いたのはヒナタだった。
「ネジ兄さん、私の気持ち、知っているよね。」
断定的な言葉だ。胸元も露わにヒナタがネジに詰め寄る。赤い顔で恥じらうヒナタと、ネジの足の付け根に自分の膝を乗せて解かれた帯に手を伸ばすヒナタを同一人物と見るのはネジ以外には難しい。彼は喉の奥が潤うのに、口の中が乾いて行くのを感じた。
ゾワゾワする。ヒナタがネジを、自分を捕えたいと願っている!
「ネジ兄さん、ずっといてね。ここにいてね。」
更に距離を詰めながら、ヒナタが自分の胸を襦袢越しに右手で掴む。それが水風船の様にたゆみ、ネジの左手が握る帯に伸ばされた左腕がその人差し指で彼の手を弄った。
「ココにいるのよ、ネジ兄さん。嫌だよ?どこにも行っちゃ。もし行ったら……」
「行ったら?」
「……い、嫌よ。駄目。」
どうするかは言わないが、今だヒナタの右手の中のそれがきつく握られて形を変える。何かに縋って安心したいのだろうかと、ネジがそれを蕩ける様な眼差しで見た。ヒナタが泣きそうになりながら、人差し指で辿った人をネジの手の甲を摘まむ。抓るというほど力は籠っていないが、これ以上苛めれば痛む様に触るかもしれない。渦巻く双方の心情は端的に説明できるほど簡単ではなかった。では、偉人の言葉を借りるか、聞き覚えの無い小難しい言葉で茶を濁せば安心して抱き合えるのかもしれない。そんな言葉を聞いた途端、宗家分家の違いはあれど良い育ちをしてきたネジとヒナタが咄嗟に口には出ない様な言葉が出るだろう。即ち、気持ちが悪い。虫唾が走る、と。
「意気地が無いなァ、ヒナタ。嫌だと言えば、俺がどこにも行かないと思うのか?」
ネジが朗らかに笑ってヒナタを抱き寄せる。ヒナタはそのままの姿勢で彼の腕に治まった。ネジの左手の甲が彼女の指の間で少し引き連れるが痛みを伴うほどではなく、ただ握られた帯が勢いで落ちた。ヒナタが目でそれを追うが、見なかったというようにネジの肩に瞳を埋める。縁側に初夏の風が吹き込んだ。生ぬるく、緩い風が2人を包む。ヒナタの答えを待たず、ネジが自答する。
「俺が行くわけないだろう?」
その言葉をヒナタが疑うはずはなかった。しかし彼女は落ちた帯を素早く拾ってネジの首にかけ、安心したようにようやく微笑んだ。まるでそれは情死を遂げようとしている男女の様だった。ヒナタの震える唇が、小さく、誰よりも大好きよ、と言い訳じみた風に囁く。次の瞬間には朗らかに笑って、恥じらいを含んだヒナタの顔が黒い髪の間から可愛らしく覗いた。幼子の様に素直で愛しい。
「ネ、ネジ兄さんが、好きで私といてくれると嬉しいなあ。だ……って、ネジ兄さんに、私のこと好きでいてほしいから。」
「俺がこんな思いをする女は、ヒナタ様だけですよ。」
すぐさま返事を返して、ネジは空いたヒナタの着物の前をようやく合わせてやった。風邪を引かすわけにはいかないからと容易に自分の膝に横向きに乗せ、彼は彼女をそのまま抱き上げる。日に炙られた互いの体が多少の温かさを残すままに2人が襖の奥に消えていった。
ヒナタはネジの胸に身体を預けながら、甘えるように囁く。
「本当はね、どちらも欲しかったのだけど。」
ネジがうっとりとヒナタの睫毛を舐めた。









(UP 09/07/09)

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