歩く歩く。
皐月の蒼い匂いを鼻腔いっぱいに吸い込んで、ヒナタはネジの後ろをてくてく歩く。





「兄さん、待って」
「待たん」


ネジは宗家の屋敷によく訪れるようになった。あの中忍試験から世界は宙返りしたのだ。黄金の少年が有言実行したおかげで今、永の間いがみあってきた宗家と分家の絆が、少しずつ回復しつつ、ある。


「…っ(兄さん、足速い)」
「足が長いからな」
「(うそ、読心術!?)」
「…本気にするな。冗談だ、ヒナタ様」


自分より三歩半ほど前を歩くネジに追い付こうとヒナタは頑張って歩を早める。
だがあと少し、あと少しというところでネジはやはり前を行く。

静かなヒナタと、活気的なハナビと、沈黙のヒアシ。この三人が住まう広い広い日向の屋敷に、鋭さを秘めたネジという新しい風が舞い込んだ。最初は戸惑っていた妹。いつもヒアシやヒナタとしか接していなかったためか、ヒナタは初めてこの妹が人見知りのケが強いことに気付く。
我らが父とハイレベルな修行をこなしていく従兄を、大好きな姉の影からじいっといぶかしげに見つめているさま。
それは縁側に並んで茶をすすっているときも変わりがなく、その珍しい姿を密かに父が盗み見ており、僅かに目尻を下げているのをヒナタは気付いている。
全てはあの中忍試験から。すごい。ナルトくんはすごいとヒナタは思う。あの父までも、彼は変えてしまった。


「ね、ネジ兄さん。どこへ行くの」
「さあ。アナタはどこへ行きたい」
「えっ……、……ふわふわの、白いうさぎがいるところ、とか」


返答はない。
かわりに鼻から抜けるような乾いた笑い声がヒナタの耳に届いた。
ばか正直に答えすぎた。自分が恥ずかしい。お前何歳だ、と心の中でツッこまれているのかなあとヒナタは肩を落とした。

今日のハナビは珍しかった。いつもは起こされない限り自分から目覚めようとしない彼女が自ら目覚め、自分から父の下に嘆願しに行ったのだ。
「父上、今日は丸一日私の修行にお付き合い下さいませんか!」
朝から夕まで交替でネジとハナビの修行は予定されていたが、ハナビの申し出により今日一日ネジの予定はなくなった。
あるはずのものがなくなったのだから、その空虚感は大きいだろうとヒナタは庭の木にもたれて腕組みしているネジに、ちょっとそこまで散歩しないかと声をかけてみたのだが。


(連れ出したのって、わたしからだった気がするんだけど…)


外へ出るなりずんずんと歩き出したネジを追うこと、約半刻。この兄ぃは、全く。

とはいえこの季節の空は爽快で、透き通るような蒼をしている。淡い色を好むヒナタにとっては幾つかあるうちの中で、中々好きな景色だった。この空を見ているとヒナタは思い出すのだ。
快晴の下、ニカッとはにかむうずまき少年を。



「…」
「…っひゃあ! ね、ネジ兄さん、どうしたの…!」
「…いや、アナタが立ち止まっているから何事かと」


ふと視線に気付けば、自分よりはるか先を歩いていたネジが立ち止まって振り返り、瞬きもせずに自分を見つめていることに気付く。
ネジの視線といえばヒナタにとってひどく印象的なものである。彼と初めて顔を合わせた物心つかない幼い時分、「ネジ兄さんと会った」ことは覚えていなくとも「熱い視線をそそがれた」ことは覚えているほどなのだ。そう、ネジはいつもヒナタを見ていた。時にまじまじと。時にじろじろと。
今も特に感情のない表情でヒナタを見つめているので、そのあからさまさにヒナタは居心地が悪くなってしまった。今更「ただ呆けて空を眺めていた」等と言えようはずもない。
ああ、どうしようか。


「そ、空の青ってどこから出来るのかな、なんて…」

ふと捻り出した一言に、ネジの視線が頭上へ移る。
はりつめていたような緊張がほどけて、ホッと一息。


「季節で空の色が違うのはなんでかなあって思ったの…。ど、どの色も好きなんだけど、でもどちらかといえば、この時期の空の色とか、冬の朝の色が好きかなあ、なあんて…」
「…詩人ですね、ヒナタ様は」


…墓穴。これだから宗家の甘ちゃんは、なんて呆れられるに違いない。
自分の会話力のなさに肩を落としかけたヒナタであったがしかし。
予想していた言葉はいつまでたっても聞こえない。ひょこん、と顔を上げると、目を細めて空を仰ぐ従兄の凛々しい横顔が目に入り、思わず瞬き。


「…オレも、冬の澄んだ空が好きです。アナタと一緒ですね」
「ネジ兄さん…」


自分の呆けたような呟きに、ネジが反応してくれた。あのネジが。そのあり得そうでなかなかあり得なかった貴重な現実が、ヒナタの背中を後押ししたのか。
僅かな期待が、胸を踊らせた。
ヒナタの長年心に秘めていた小さな疑問が、口から滑り出る。


「ネジ兄さんは、なにで出来てるのかな」
「…?」
「あ、いや、あの…ずうっと前から思っていたの。
なんでかな…」


すごく、きれいだからかなと呟いた声は、消えかけながらもしっかりネジに届いていたらしい。無表情だったネジが、うっすらと眉間に皺を寄せた。頬をうっすらと赤らめながら人差し指同士を擦り合わせるヒナタは、ツンと尖った声を耳にして、初めてネジが機嫌を損ねたことに気付く。


「…水分。炭素。後は知らん」
「!」
「急ぐぞ、ヒナタ様」


そう言いながら、ネジの後ろ姿が小さくなっていく。きゅうんと胸の奥が引き絞られるような、そんな切ない心地がした。

怒らせてしまった。
眉をハの字に寄せて追う背中が、遠い。

きれいなものをきれいと言って何が悪いと、ヒナタは思う。ネジはきれいだ。同じ人間なのに、何かが違うと思う。時折伏せられる瞳を飾る睫毛のその先の先まで、まるで作り物のように繊細で緻密な整ったものなのだ。透き通る白い肌。端正な横顔。親しくしていた幼い頃も、憎まれていたつい最近でも。ヒナタは無意識に、憧れの思いを抱いていた。
つい目を奪われていた。

繁った木々に、従兄の姿を見失う。足の早いネジが本気になればヒナタを撒くことなんて造作もないのだ。
つい最近まで当たり前だったネジの冷たい視線が頭をよぎる。こんな風に普通に話せるようになったのはつい最近のこと。中忍試験の後彼からまともな謝罪を受け、ネジが宗家に通う日々が始まった。自分でも、接しにくいとは思う。ヒナタとてこれまでの仕打ちに何も感じなかったわけではない。怖い。逃げ出したい。恐ろしい。

けれど、相反して近付きたいと思う気持ちがヒナタの中に存在する。
廊下ですれ違う度に、おどおどとした挨拶しか出来ない自分が情けなかった。自分の怯えた態度が、従兄の静謐な眼に写るのが見えた。その瞳に一瞬影が差すのが見えた。
自分の話したいことはいっぱいあるのに。もっとネジが普段どんなことを思っていて、何が好きなのかとか、いろいろなことを知りたかった。
一つ年上の、憧れの従兄。
やっと誘うことが出来た今この時、まともに会話出来ていると思っていたのに。ネジ兄さんが、自分なんかの話を聴いてくれたのに。
怒らせてしまった。
折角近付きかけていた二人の距離が、遠ざかってしまった。

ヒナタは一人になる。
蒼く高い空、生い茂る緑の木々。
誰もいない。

ぽつねんと一人、取り残された。
視界がくもる。


「ネジ、兄さん…っ」

「アナタは、なにで出来ているんだろうな」
「!」


振り返れば、大木にもたれてこちらを見やるネジがいることに気付く。その静かな視線と自分の目がかち合った瞬間、いろいろな思いがヒナタの小さな胸の中に去来した。ずくん、という胸の疼きが何なのかもよく分からない。
ざわざわとする心の中、何かが込み上げる喉の奥、熱い目尻、背を向けて走り去ってしまいたくなる衝動。
どうにかしてこの感情の名前を探そうとしている間に、大木にもたれていたはずのネジの姿が消えていることに気付いた。
あれ、ネジ兄さんはと身動ぎしたつもりが、動かない。
背後から、ぬくもりが自分を抱き込めている。ふわっと鼻に香る、覚えのある匂い。それが廊下ですれ違うときいつも香るネジの匂いなのだと自覚した瞬間、耳元でぼそりと呟く低い声が聴こえた。


「ああ、砂糖菓子。アナタはきっと砂糖菓子で出来ているんだな。
…いつも、こんな甘い匂いがしているから」
「…兄、さん?」
「さあ、兎、見に行くんでしょう?
仕方ないから一緒に行ってあげますよ。ほら、手を貸して下さい。
全くアナタは、足が遅すぎてかなわない」


ぎゅっと手を引かれて、走り出す。
開けていく視界。流れていく木々。
甘い甘い熱。まだ背中が熱い。顔が熱い。
繋いだ手の熱が顔にまで伝染したの、だろうか。


(ネジ兄さんが、わたしのこと砂糖菓子だって)


宗家の甘ちゃんだと言いたいのだろうかと思う。まだまだ子どもだと暗に言われたのかとも思う。

けれど、なんだか嬉しかった。
よく分からない、身体の弾むような温かさが全身を包んで、顔を緩ませる。
先ほどまでの鬱蒼とした気持ちはどこへやら。いつの間にか微笑んでいた自分に気付いて、ヒナタは静かに笑みをこぼす。
後ろ姿しか見えないネジの左耳の先が、ほんのり赤らんでいるのが見える。ネジの少しごつごつした大きな手が、自分の手をより強く握りしめた。
無理することはないのだ。この従兄と、いつかきっと気軽に話せるときが来る。
高くて蒼い空。次にこの空を眺めたときには、今日のことを思い出すのかなとヒナタは思った。



あとがき
ネジヒナ…いやヒナネジ初作品です。ヒナ→←←ネジになってしまったような。今となってはなぜもう少し早くネジとヒナタに目覚めなかったと後悔です。実は小学生の頃ちょっとだけ気になってはいたのですが(汗
素晴らしい企画に参加させていただき、本当に感謝しております。ありがとうございました! 毛糸


(UP 09/12/27)


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