「だから何度も言っているでしょう。この距離を測るには逆側の影の長さとの比率を使って…」
「わ、分かってる!この長さだろう!」
「…違います。」
「………お、お前の教え方が悪いんだーーーっ!!」
ジンジンと蝉の声が響き渡る昼下がりに、蝉に負けぬ程の大きな声が響き渡る。
夏の雷鳴のような叫び声を黙って聞き流すと、ネジは大げさな溜め息を一つ吐き、冷静な表情で目の前のにわか教え子に視線を寄越した。
「貴女達が俺に勉強を教えてくれと言ったのでしょう。そうそう分からないからと怒鳴り散らされては一向に捗りませんよ。俺の所為にする前に自分で理解する努力をして下さい。」
俺だって暇じゃない、という態度に、また怒鳴りつけたくなる衝動に駆られるが、ネジの言う事が正しいというのは分かっている。なのでハナビはぐっと堪えて文卓に広げられた課題に目を落とした。
今解いている問題は、アカデミーから出された課題。アカデミーで出される位の問題だから、そう難しくは無い筈なのに、担当教員から『日向は理解が早いからな、少し難易度の高い問題でも出来るだろう』と他のクラスメイトとは別課題を貰ったのは夏休みに入る直前の事。教員の期待を含んだ言葉に、ハナビも得意げな顔で受け取ったのはいいが…もう夏休みも終ろうとしているというのに、その課題のみが白紙のままだった。
「そんな事分かってる…暑いから集中できないだけだもん…」
我ながら情けない言い訳だと思うが、ハナビは頬を膨らませて小さく愚痴を零す。
(本当なら、姉さんが教えてくれる筈だったのに…)
ちらりと風通しを良くする為に開け放たれた障子戸を盗み見れば、ネジの眉がぴくりと動く。
「ハナビ様、余所見をしないで下さい。」
ネジも暑いのか、僅かに苛立ちを含んだ声色に、ハナビは身を竦ませた。
ヒナタが部屋を出てから、もう30分は経つだろうか。最初はヒナタが教えてくれていたのに、運悪くネジが急に部屋に来た所為で、ヒナタは茶請けを取りに行ってしまった。しかも『ネジ兄さんの方が教えるのが上手いから』とハナビの勉強相手をネジに押し付けて。
…なんで私がネジと二人きりにならなくてはいけないんだ。しかもこんな暑い日に。
ハナビとしてはヒナタと二人でゆっくり勉強したかったのに…と肩を落としたが、ネジもこの状況が不本意なのか、コツ、コツ、コツ…と右手の中指で文卓を小さく叩いている。
そんなに此処に居るのが嫌なら、帰れば良いのに。
「ネジも私の相手が嫌なら断ればいいだろう。」
そう言うと、ネジの指の動きが止まる。
「別に嫌なわけではありませんよ。それに宗家の方に頼まれた事ですし、気にしていません。」
さらりと言い放つネジに、ハナビはネジから見えないように顔を俯かせてから、表情を歪めた。
きっと、コイツは本当に気にしていないんだろう。言われれば従う、そういった慣習がどんなに嫌だと思っていても、身に染み込んでいるのだから。
そういう態度を取られたら、私達がどう思うかなんて考え付きもしないのだろう。
「分かった、じゃあ精々こき使ってやる。…この問題を解け。」
「自分で解かなくては意味がないでしょう!」
流石に声を荒げるネジに、ハナビは、フン…と鼻を鳴らす。
いがみ合う二人の所為か、部屋の室温が上がってくる気がする。そんな部屋に一陣の涼風の如き声が二人の間に響いた。
「ハナビ、問題は解けた?さあ、二人とも休憩にしましょう?」
「姉さんっ!」
先までの険のある態度はどうしたのか、という位ににこやかな顔をヒナタに見せるハナビ。其れを見てネジが舌打ちするものの、眼中にないという風にハナビはヒナタの元へと駆け寄った。
「遅くなってゴメンね?井戸で冷やしていたスイカを食べてもらいたくて…ネジ兄さんもどうぞ食べてください。」
「有難う御座います、丁度喉が渇いていたので助かります。」
此方も先とは違うにこやかな顔をヒナタに向けると、ネジはヒナタが差し出したスイカの一切れをさも当然の事のように受け取っている。
「あっ!それ一番大きなスイカ…!」
「ネジ兄さんは態々勉強を教えてくれているんだから当たり前でしょう?ほら、ハナビにはこっちをあげるから。」
「別に私から頼んだわけじゃないもの…ネジっ!それを寄越せ!」
「もう口をつけましたけど、いいんですか?」
「くっ!!」
ハナビがヒナタに抗議している間に、ネジは既にスイカの最も甘い部分を齧り、挑発的に笑う。
その姿に、ハナビは顔を赤らめてスイカを持っている為に両手が使えないネジの胴体にタックルをした。
「ぐっ!ハナビ様、行儀が悪いですよ!それに暑苦しいから離してください!」
「じゃあ吐き出せ!」
「ふ、二人とも喧嘩は駄目だよ…仲良く、ね?」
ハナビの攻撃にふらつき、それでもスイカを落とさぬようにバランスを取るネジと、無理だと知りながらも腹いせにネジの胴を殴るハナビ。そしてそれを見てオロオロと体の前で手を彷徨わせるヒナタ。
何とも暑苦しく、そして平和な姿。
「あーもう!ムカつく!」
姉さんとの時間は邪魔される、勉強では嫌味を言われる、そしてスイカは取られるし暑苦しいで散々だ!
まったく、姉さんだってコイツに頼む必要ないじゃないか…と、ハナビはネジを締め上げながら背後に控えるヒナタを見ようと首を回した。
きっと困った顔で此方を見ているんだろう、それか微笑ましいとか間違った解釈をしているかも知れない。
でも、ハナビの予想に反して。ヒナタは。
「姉さん?」
「…ん?何?」
名を呼べば、予想通りの困ったような顔と、小さな声。でも、その声を出す直前に見せた顔は。
無表情、だった。
「ハナビ様、しつこいですよ。放してください。」
「ほら、もう放しなさい。折角のスイカもぬるくなるわよ。」
「ん…」
二人の声にしぶしぶと離れ、文卓の前に戻れば、ヒナタがスイカを取り分けてくれる。
優しげな笑みと共に。
でも、先程垣間見えたあの表情は?
私の見間違いだったのだろうか…姉さんのあんな表情、今迄見たことが無い。
あんな、感情の読み取れない表情なんて。
スイカに集中している振りをしながら、こそりとヒナタの顔を盗み見ても、其処には何時もと同じ穏やかな顔でネジと話しているヒナタが見えるだけ。
「暑いのによく動き回りますね、ハナビ様は。」
「ふふ…ハナビは体温が高いから、ネジ兄さんも暑かったでしょう?」
ハナビは汗っかきだものね、と振り返るヒナタに、ハナビは慌ててスイカを頬張り態と顔を顰めてみせた。
「そんな事ないもの!ネジの体だって暑苦しかったよ。ほら、まだ私の体が熱い位!」
先程感じた疑問を悟られないように、大げさに手を広げれば、ヒナタがゆったりと笑って。ハナビに近付き。
「そう…どれ位?」
ぎゅう…と、ハナビの体を抱きしめた。
「わわわっ!」
感じるヒナタの匂い、体温。それはいつもの姉の持つもの。
でも。何故か。
私が、抱きしめられている感じが、しなかった。
コツ、コツ、コツ、コツ。
背後から、文卓の叩く音が又聞こえる。
暫くハナビを抱きしめた後、ヒナタは体を離し、皺の寄ったハナビの服を調えて立ち上がった。
「やっぱりハナビの体温は高いわね…少し汗を流してきた方がいいかもね。水浴の用意をしてきてあげるわ。」
微笑み部屋を出るヒナタをぼんやりと見送れば、再びネジと二人きりになる。蝉の声とネジの指先だけが音を作り出す。
暑い、熱い、あつい、アツイ。煩い、うるさい、ウルサイ……二人とも。
「…ネジ。」
「何ですか…って、またですか!」
「………」
「ハナビ様?」
ヒナタの後姿を追っていたネジが此方を向いた瞬間に、ハナビはもう一度ネジの胴へ黙ってしがみついてみた。ネジは最初は嫌そうに体を捩じらせたが、今度はただしがみつくだけのハナビの様子をおかしいと感じたのか、動くのを止めてされるが侭になっている。
体が熱い、姉さんが残した熱が。うるさい、ネジが立てた音が。
なんだって私に。
「…特別にネジにもやるんだ。ありがたく思え。」
「…?何を訳の分からない事を…それより課題が未だでしょう。」
幾分呆れた声を出すネジに、ハナビはネジの背後で馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
この有り難さが分からないなんて。それならずっと分からなければ良い。
「熱い…」
夏の熱気は、まだ去りそうに無い。

あとがき
はじめまして、イチと申します。これでもヒナネジだ!とこそりと訴えておきたいと思います。
稚拙な作品ですが、これが少しでも企画の成功に繋がりますように。
このような素敵な場を設けてくださった主催の皆様、そして読んで下さった方々に感謝を。
(UP 09/08/26)

