
雲ひとつない青空がどこまでも広がる、ある秋の日の午後。
ネジは庭に面した座敷にひとり座していた。
ヒアシから借りていた巻物を返すために宗家を訪れたネジは、訪いの声に現れたヒナタから不在を告げられた。日を改めて出直そうとしたのだが、ちょうど昼餉の支度をしているので食べて行かれませんかと誘われた。家の者は彼岸の休みで、皆それぞれの家へ帰っているという。
そんな宗家の屋敷の中はひっそりとしていた。
先程、ヒナタの口から彼岸の言葉を聞くまで、今日がその日であることにネジは気がつかなかった。そういえばここ何日か朝晩、肌寒い。最近、任務が忙しいせいか季節の移ろいに気を留めることもなかったと、自分の余裕の無さに気がついた。こうして、のんびり過ごすのも何時ぶりだろう。と、ふと目を外へ向ければ菊があった。が、それはまだ蕾。楓の葉もまだ青い。日差しも和らいでいるとは言いがたいが、それでも時折そよぐ風はやはり秋の気配がした。
明日にでも父の墓参りに行こうかと心を傾けていると、ふいに鼻先へ届いた香ばしい匂いにネジは空腹を覚えた。
それに誘われるように内所の奥へと足を向ける。
台所ではヒナタが床板に置かれた七輪で魚を焼いていた。
忙しなくクルクルとよく動くその姿をネジはしばらく眺めていたが
「ヒナタ様。何か手伝いましょう」と声をかけた。
その声に驚き立ち上がったヒナタは、あたふたと辺りを見回しながら
「あっ で・・・では、おそうめんを茹でてもらえますか」と答えた。
ネジはヒナタの視線を追って鍋の前に立つと、徐に塩の入った壷を手にする。
「ネジ兄さんっ・・・。それ、どうするのですか」ネジの手元を指してヒナタは訊く。
「塩茹でにするのでしょう」と、ネジは当たり前だと言わんばかりの顔で答えた。
「・・・そのまま茹でてください。ネジ兄さん」呟くようなヒナタの声に
ネジは表情も変えずに「わかりました」と答え、鍋に麺を入れスイッとかき混ぜた。
沸き立っていた湯は一瞬白く濁ったかと思うと、すぐに静かになった。そのまま鍋の中で麺がユラユラとたゆたう様子をネジはジッと見ていた。すこし経つと、所々で麺が踊り始める。面白いものだなとそのまま眺めていると、表面に小さな泡が立ち始めた。次第に大きくなってゆくその動きに、このままで良いのだろうかと思い
「ヒナタ様、どれ程茹でたら良いのでしょう」と尋ねた。
「とりあえず湯が沸いたらビックリ水を入れてください」と言葉が返ってきたが、鍋の周りにそれらしきものは見当たらない。なので、戸棚の中を探っていると
「ネジ兄さんっ」と、ヒナタの叫ぶような声がした。
振返れば鍋が今しも吹き零れようとしている。
慌てて駆け寄ろうとしたネジだがヒナタの背に遮られた。その背中越しに鍋を見ると先程の様子とはうって変わって、麺は穏やかに泳いでいた。
「ビックリ水を入れたのですか。側に用意してあったのですね。気付きませんでした」と、ネジの声はのんびりとしている。
その言葉にヒナタは首を回してネジの顔をそっと仰ぎ見た。
「えっ あー。はい・・・ネジ兄さん。もう盛付けるだけですのでお部屋でお待ちください。手伝ってくださって、ありがとうございました」と、微笑んだ。
部屋に戻りしばらく待つと、盆を持ったヒナタが現れた。
次々と卓に料理が並べられる。コンニャクの白和え、小松菜の煮浸し、里芋の味噌がけ、最後に大きな椀を置きながら
「ネジ兄さんが茹でてくださった、おそうめんは鯛
と、ヒナタのその声は心なしか弾んでいる。表情も何やら楽しげだ。
ネジの向いにヒナタが座し「どうぞ、召し上がってください」の言葉に箸を取る。
「では、頂きます」
ヒナタはオレが茹でたと言ったが、鍋に麺を入れただけで、どう考えても邪魔をしていたとしか考えられない。が、それでもヒナタが楽しそうなので深くは考えまいと、椀に口をつけた。
柚子のよい香りがした。
「とても美味しいです。よく鰊蕎麦を食しますが、こういうのも好い物ですね」
「そうですか。そう言ってもらえて、ぅ嬉しいです・・・」そう言うヒナタの顔は、今日一番の笑顔だった。
ネジは専らポツポツと口を開くヒナタの話の聞き役だったのだが、それでもいくらか自分の近況話など交えながら食事を終えると、思い出したようにヒナタに尋ねた。
「先程のビックリ水ですが、あれはどのような水なのですか」
「えっ あっあれは・・・ただの水です・・・煮立った鍋に入れる水を、そのように呼ぶのです・・・」
「あーそうですか・・・勉強になりました」と、白々と言うネジに
「勉強だなんて、そんな大袈裟な・・・」少し気まずそうにヒナタは呟いたが、
「でも・・・ネジ兄さんでも知らない事があるのですね。・・・何だか嬉しいです」
と、ニコニコと楽しそうに打ち明けた。
「人の失敗が楽しいのですか。褒められたものではありませんよ」
そう言うネジの声は軽い。
「あっいえ。その・・・ネジ兄さんの先程の顔が。何だか子供みたいで・・・」
ヒナタは上目遣いにネジの表情を窺い見た。普段ならバツの悪さに、眉間に皺の一本も寄るところだが、今のネジは口の端を少し持上げただけでフッと笑った。
その表情にヒナタはにっこりと微笑む。
『何時かまた、こうして食事ができたらいいですね』
と、ヒナタは声に出さずに話しかけた。
あとがき
こんにちは。Einと申します。
素晴らしき主催者様方や寄稿者様方と共に、この雛螺同盟の一角に名を
連ねることに逡巡しましたが、とうとう名乗りを上げてしまいました。
色々と思うところはあるのですが、ふたつだけ。
何も始まっていなくてゴメンナサイ。
雛→螺。矢印が薄っすらとしていて、私の目にもときどき霞んで見えません。
ここまで読んでくださった、ヒナネジを愛する皆様。
ありがとうございます。
ここに在る私は幸せ者です。
(UP 09/11/04)

